令和6年度7月 こどもてつがく高学年レポート 問いを立てる特訓!!
ソクラテスについて学んでみよう
高学年の部も集まりはゆっくりでした。夏休みの初日はそんなものなのかも?
前回同様、参加者の名前を呼びながらコミュニティボールをまわすというアイスブレイク。できるだけ短い時間で、みんなにボールをまわします🏀 人数が前回より減ったとは言え、大幅な記録の更新。
集まるのも、もう4回めなので、みんなの名前もばっちり覚えたかな。
今回は、座学も取り入れます。テーマは、ソクラテスについて。
ソクラテスは、あるとき「ソクラテス以上の智者なし」という神託=神の言葉を受けます。しかしソクラテスは自分のことをそこまで賢い人だとは思っていませんでした。
しかし神の言うことが間違っているはずもありません。その矛盾を突き詰めて考えるために、探求を始めました。アイデンティティを巡る、自己吟味の旅です。
アイデンティティの崩壊?
ここで質問
「みんなはアイデンティティって知ってるかな?」
「アイデンティティ⤵なら知ってる」
イントネーションの違う、別のワードがあるというのでしょうか……?
「ティティ♪ ティティ♪」
なんか知らないけど、語感だけで盛り上がってる……。
世界一賢いと言われたらどうする?
「みんなは神様から、世界一賢いって言われたらどうする?」とファシリ。
「よっしゃ! って、自慢する」
「嬉しい」
「東大に入る」
素直に喜ぶグループと、
「あっそ、って思う。ホンマかわからないし、世界一賢くても何かできるわけじゃないから」
「俺も受け流す、そうなんだなって感じ」
「でも、人のことは助けられるかも?」
わりと冷静に受け止めるグループがありました。
「ソクラテスも冷静なグループと同じ。『マジで? そうじゃなくない?』みたいな感じでした」とファシリ。まあまあカジュアルなソクラテス……。
「不知の自覚」とは?
ソクラテスは神託が正しいのかどうかを確かめるために、自分よりも知恵があると思われる人たちを訪ね、対話を繰り返します。そこで気付いたことがあります。
「私は、この人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で、良いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私の方は知らないので、ちょうどそのとおり知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っている点で」 『ソクラテスの弁明』21E
この自分が知らない、ということを自覚していることは「不知の自覚」と呼ばれます。
「何かを知ってると思うと、それ以上知らなくていいと思うってことか」とこどもたちから鋭い意見。
こどもは、おとなは何を知っているのか?
「みんなは何かを知ってると思う?」とファシリが問いかけると
「知らないことばっかりです🐤」
「人間自体がまだ解き明かしていないこともある」
「こどもの方が、大人よりもよく哲学する=探求するっていう人もいます」とファシリ。
「たしかに子どもの方がいろいろ調べるかも」
「テレビで知らない言葉が出てきたりしたら、お母さんに聞いたりしてる📺」
「じゃあ、お母さんやお父さんはみんなより知ってる? 学校の先生だったらどうかな?」
「理科の先生🧪と、数学の先生📐では得意なことが違う」
「勉強だとそうかもしれないけど、自分の得意分野だと自分の方が知ってることもある」
「宇宙のことは3%しか解き明かされていないと聞いたことがあります。あとは病気もそう。研究者でもわかってないことはたくさんあるし、研究者でも知らないなら、お父さんやお母さんがわかってないこともある」
高学年にもなると、確かに興味がある分野では大人が敵わないこともあるし、大人が万能でないことも充分に知っているみたいですね。
「知らないと思えているなら、みんなは哲学者なのかも」そうファシリが言い添えます。
対話にふさわしい「問い」とは?
今日は、特定のテーマについての話すのではなく、こども哲学における適切な「問い」とは何かを考える時間としました。
適切な問いのひとつの特徴は「概念」を問うものであるということです。
たとえば、
・テストでいい点を取るにはどうしたらいいのか?
はHow=方法を巡る問いです。そして、テストを受けたり、いい点を取ることが良いという価値観を前提としています。
一方で
・テストでは何が測られているのか?
・テストのない教育はありえるか?
というのは、テストという「概念」自体を巡る問いになっています。
少し「テスト」にまつわる対話をしました。
テストがあるのは当たり前のこと?
「当たり前!」
「ちゃんとできてるか知るため。勉強しているかどうかの復習」
それはテストじゃないとできないこと?
「プリントで、点数つけたらいいだけかも」
「プリントならどうでもいいかも。テストなら点数が悪いと怒られたりして、プレッシャーがあるからみんなの頭が成長していく」
「テストもどうでもいいと思う人もいるよ」
「お母さんもどうでもいいって。点数がすべてじゃないって」
「でも点が良いと嬉しい」
「悪い点だともう少し勉強しようと思う」
「問いが出てきて、はじめテスト自体のことを考えれます。そうしたら、みんなはテストのない学校を作るかもしれないし、テストのない国へ行こうとするかもしれない」ファシリが言い残します。
私も昔は、テストや勉強がない大人に早くなりたかったのを思い出します。
問いを立てる特訓その① 質問ゲーム
哲学的な「問い」を立てる練習のために、質問ゲームをしてみました。
「私のハマっていること」をテーマに、サンプルとしてファシリがみんなの質問に答えました。
「私のハマっていることは英語を勉強することです」とファシリ。
「なぜ好きなんですか?」
「英語の歌の意味を知りたいと思ったからです」
「なぜ意味を知りたいんですか?」
「ちょっとかっこいいなって」
「かっこいいの定義は?」
「自分が知らないことをできるのはかっこいいなって」
「そもそもなぜ英語の歌を聴いたの?」
「お母さんが聴いていました」
質問がすごいスピードで飛び交います。
問いの精度も高い!
こどもたちには、3人組になって、この質問ゲームをしてもらいました。ハマっていることは「ベイブレードX」「絵を描くこと」「エイペックス」などなど、改めて人に説明してみると、自分のハマっているものの正体に近づけたかもしれません。
問いを立てる特訓その② 宇宙人になる👽
次は上級編として、質問者は「宇宙人」になりきってもらいます。宇宙人だから、地球の常識やルールなんて、全然知りません。だからどんどん深く、根源的に質問することができるのです。
テーマは「学校/遊び、本、ペット、服、テスト」の中から選んでもらいました。
「学校」を例に話してもらうと
「学校ってなんですか?」
「ちっちゃいから学ばないといけない」
「成長した人間は学んだってことになるの? 大きくなった人はがっこうに行かないの?」
「大人より知らないことが多いから」
「なんで大人より知らないことが多いの?」
「知識がないから。見たこともない、知らない世界が多いから」
宇宙人役には、すんなりすぎるほど馴染めたようです。
「遊び」をテーマで話してもらったグループでは。
「遊びってなんですか?」
「生きていく中で休憩することです」
「なんで休憩するんですか?」
「疲れを減らすためです」
「なんで働いたら疲れるのですか?」
「運動して、体力が消耗するから」
「座ってるだけなら、疲れないんですか?」
みんな初めてなのに、質問が矢継ぎ早すぎる……。
そしてこころなしか、活き活きしている……。
難しかった質問として挙がってきたのは、
「柔らかいってなんですか?」
「ペットがかわいいという言うけど、どうして小さいものがかわいいのですか?」
「本には知らないことが書かれているけれど、それはなぜ?」というもの。確かに急に振られても即答できなさそうな問いです。
問いを立てる特訓その③ 実際に問いを立ててみる
最後に、さきほどの
「学校、遊び、本、ペット、服、テスト」について、
こどもたちにそれぞれひとつずつ、問いを考えてもらいました。
出てきた問いは
・なぜ猫はかわいい?
・なぜ服は着ないといけないのか?
・なんで遊ぶことは楽しいのか?
・ペットって何? ペットと野良はなぜ違うのか?
・1+1はなぜ2なのか?
・なんのために、きゅうけいがあるのか?
・なぜアニメがあるのか?
・学校でなんで勉強するのか、なんで学ぶの?
・本をなぜ作るのか?
・なぜ大谷はあんなにホームランを打つのか?
崩れ去るファシリテーターの意図
どれも素晴らしい問い! さきに学んだ「概念」に関わるかどうかという点で、みんなで問いを点検してみました。
ファシリテーターの意図だとさまざまな観点から、対話する上ではふさわしくない問いをふるい落とし、良い問いについて考えを深めたかったようなのですが………ほとんどが概念に関わっていそう。上手に問いを考えられました。
ひとつ難しかったのが、
・1+1はなぜ2なのか?
という問い。
これが数字という概念にかかわらないのでは、という子の意見は
「1の次が2ってなってるから、数字に関係しそうに見える。でも1の次が2じゃないとしたら、数字とは関係なくなるのでは?」
難しいテーマです。同じく違和感を持っても、その説明に窮してしまう子どもも。
数字に弱い自分も、これが概念に関わる問いなのかどうか、即答できません。こども達がもう知っての通り、私たちも全然何も知りません。
半分冗談のように、こんな問いを残してくれた子もいました。
「なぜ人は争い、にくしみ、血で血を洗うようなことが起こるのか?」
大人がなんでも知っていて万能なら、こんな問いは生まれなかったかもしれませんね。