令和6年度3回目こどもてつがく高学年レポート 正しいことを知っている人は、正しいことをする?
コミュニティボールを使ったアイスブレイク
みんなで集まるのはこれで3回め。
まずはちょっとした遊びから始めます。
コミュニティボールを名前を呼びながら、投げて渡します。
ルールは
・隣の人には渡さない
・同じ人には渡さないよう、覚えておく
時間を測って、できるだけ短い時間でみんなに回るように。ボールを楽しく投げあいながら、お互いの名前も少しずつ覚えて行きます。
1回めは、1分17秒、記録を塗り替えようと気合を入れて臨んだ2回めは、なぜか1分19秒……。
高学年は人数が多いので、今日も2つのグループに分かれて対話をします。
初の試み、ファシリテーターに挑戦!!
今日初めての試みは、子ども達のなかに1人、ファシリテーターの役をやってもらうこと。グループの中に大人のファシリと、子どものファシリが1名ずつがいます。
本日のテーマは
「正しいことを知っている人は正しいことをする?」
なかなか難しいテーマですが、子どもたちは身に覚えがあったようで、すぐに意見が集まります。
「うっかりして宿題を忘れちゃうこともある。人間だから」
「17時までにお家に帰らなくちゃいけなくても、ついできなこともある」
「ゲームをする時間を守らないといけないのに、守れなかったり」
「同じような経験がある人いますか?」大人ファシリが問いかけます。
みんな手を上げます。
するべきことはわかっている。でも確かに、どうしてもできないこともあれば、うっかりしてできないこともありますね。
「正しいことを知っていると、正しいことをすると思う。
理由は正しいことを知っているから、正しいことをすると思う」
おっと、これはどうやら循環論法になってしまっています。
論理的な思考はこれからの課題になってきそうです。
正しいことでも、命令されたらいや!
「人にやってよって命令されたら、その人に従うのではなく、自分で変えてもいいと思う」
「めちゃくちゃわかる! 命令されたら反抗する」
「正しいことを知っていても、嫌だからやらないことがありうる?」ファシリが問いかけます。
「嫌というよりも、ただ自分の意思をもっておきたいという理由で反抗することもある」
「意思って何かわからない」
とってもいい質問です。
「自分の気持ちかな。自分がこう思ってるから、それを大切にしたいという気持ち」
答えも、とってもしっかりしています。
どうやら、それが正しいことだと知っていても、それが誰かから命令されたりすると、したくなくなることがあるようです。正しいことよりも、自分の意思を尊重することが大切な場合があるのかもしれません。
「何が正しいことを知らないのに、正しいことをすることもありうるかな?」と大人ファシリ。
「たまたま、することもあると思う」
「後から気づくこともある」
「みんなは正しいことを知っているんだろうか?」と大人ファシリ。
「ゲームの時間を守るとか、家に帰る時間を守らなきゃいけないとかは知っていても、難しい勉強のこととか、知らないこともある」
「意思があんまりない場合もあるのかな。5時までに帰らなきゃいけない。でもちょっと過ぎてたらどうせ怒られるから、もう少しいいかなとか思うときもある。正しいと知っていはいても、どっちでもいいなと思ってるとき」
「時間は守らなきゃと思うときと、守らなくてもいいかなというときがある。大切なときはまもらなきゃいけないと思う。守らなくてもいいときは……ちょっと考えてみます」
途中でわからなくなっても全然構いません。口に出して発言しながら、考えるタイプのこどももいるはずです。
正しい知識→正しい行動の間にあるものは?
ファシリ担当の子どもが、今日初めての質問をします。
「正しいことを知っていても、自分の意思によって行動が変わることがありますか?」
「行動は意思によって変わる」
「たまたまうっかりできないこともある。5時に色々理由があって帰れなかったら、意思だけではないかもしれない」
「運もありそう」
「正しいことを知る→正しい行動の間に、もっと別の何かがあって、そのことがよく話題になっているのかも。じゃあ知ること自体はあまり行動に関係しないのかな?」と大人ファシリ。
「関係なくはない。知る以外の方が、関係が深いのかも」
「関係ないことはないと思う。知らなかったら、正しい行動できる可能性は下がると思う」
「知ることと、行動することはやっぱり関係すると思う?」ファシリが問いかけると、ほとんどのこどもが手を挙げます。
正しい知識があると、正しい行動を取れる確率があがる?
わかりやすい例を出して、説明してくれた子がいました。
「掛け算のやりかたを知っていても、間違えることはあるから、知識を知っていても間違えないわけじゃない」
「じゃあ、算数のやりかたをまったく知らなかった場合は?」と大人ファシリ。
「知ると行動の間に、いろんな要素が絡む。算数の問題も、知識がなくてもたまたま当たることもあるかもしれない。運がよければ」
「じゃあ、知っていることは、正しい行動を取れることとは関係ない?」とこどもファシリが質問します。
「関係はある。算数だったら、答えが合う確率も高くなる」
「天気予報の見方を知っていたら、明日は曇りだなとわかる。当たる確率が高くなる」
「知らなくても、正しいことができる場合もある。でも正しいことを知っていると、正しいことをすることに影響があるっていうことですか?」とこどもファシリ。まとめ方がとっても上手です。
「知っている量によって、意思は変わってくる」
「量を知っている方が、意思がたくさん増える、強くなる」
抜群の例でザワつく……
「りんごが目の前にあるとして、りんごが赤いっていうだけなら食べるに至らないかもしれない。でも毒がない、美味しいって知っていたら、食べたくなる」
「すごくいい例えだ!!」
身近なりんごを使った知る→行動の例えに、こどもたちみんながざわつきます。
「りんごが腐っているかもしれないとか、知識が増えることで、食べられなくなること、行動できなくなることもあるかな?」と大人ファシリ。
「危険性があるなら、食べないという行動が正しい場合もある!」
ゾーンに入ったのか、議論が鋭すぎます……。
何が正しいのか、勇気なのか、どうやって知る?
「勇気を知っている人は、勇気のある行動が取れるのだろうかという例が出ましたよね。これが勇気だというのは、どうやって知るんだろう?」と大人ファシリ。
「実行して、失敗してわかる」
「まわりの人が教えてくれる」
「アニメを見たり、学んで知る」
「そのアニメを作ったひとたちは、どうやって正しいと知ったの?」と大人ファシリ。
「私たちと同じようにかな」
「じゃあいちばん最初の人は、どうやってわかったんだろう?」と大人ファシリ。
「いちばん最初のひとは、勇気という言葉を、日本語を組み合わせて作った」
「これは勇気だ、勇気でないと語り継いで作ったんだと思う」
「勇気を体験して、そこから考えていったのかな。さきに言葉を作って、当てはめたわけじゃないんじゃないかな。先に体験があったかも」
「予想はできるけど、本当のことはわからない」
正しさの正当性はどこにあるのか、言葉はどうやって作られたのか? 議論が深まったところで、今日の哲学の時間は終わりです。
「正しいことを知っている人は正しいことをするのか?」がテーマの本日。
出てきた論点は……
・正しいと知っていても、命令されたらやりたくなくなるのではないか?
・知る→行動の間には、意思や、状況や、運や、いろいろな要素があって、それらが影響するのではないか?
・知識の量が増えれば、正しいことができる確率が増えるのではないか?
・正しさはどうやってわかるもの?
今日は本当にいい議論ができました。
最後に、ファシリ役を務めてくれた子に感想を聞いてみます。
「自分の言いたい意見が言えなっくてもやもやした~!!」
でも議論のまとめ方は、とっても上手でした!!いつもとは違う立場で議論を追ってみると、今後の議論に対する姿勢も変わるかもしれませんね。ぜひ他のこどもたちにも体験してもらいたいと思います。